出産記録


入院まで

はじめての子の出産予定日は2003年6月17日。
我々夫婦や親族一同がその日を心待ちにしているにも拘わらず、お腹は痛いくらいに張るのに、肝心の陣痛が来ないまま。
「来ないねぇ」と言いながら、予定日の朝に入っていた定期検診に行くことになりました。

それまでの定期検診では、担当医に「予定日までに規則的にお腹が張ったり、破水があったら電話して来てください」と言われていましたが、冒頭のような症状のまま。
一週間以内に何もなければ、陣痛促進剤を使って誘発分娩をすることに・・・。

「クスリは嫌だなぁ」と思いつつ、でも、予定日超過しても出てくれなければ、子供を育てるのに必要な胎盤機能は落ちて行くばかりですし、ワタクシのひどいむくみや、寝返りを打つにも大変な骨盤や恥骨の痛みも収まらないままです。
情けないけれども、一週間様子見をして、出産の予兆がなければ、そのまま入院して分娩という事になりました。

6/24の分娩のために、夫も仕事を抱えながら横浜から駆けつけてくれ、病院に荷物を運んでくれました。
午前9時までに病棟に直接来なさいとのことでしたので、入院窓口まで行き、入院のための書類を提出。それから病棟のナースステーションまで行き、別の書類を提出したら、いきなり分娩室に通されました。


分娩室にて待機

分娩室は3室ありました。
しかし、何とカーテン一枚で仕切られているという代物!これじゃ「隣は何をする人ぞ」ではなく、やることなすこと全て筒抜け状態ではありませんか。(´□`;)こんなんでいいのか、市民病院!

何となく「ヤだなぁ」と思いつつも、逃げるわけにもいきません。
第一分娩室に通され、分娩用の着衣に着替えるように指示されましたので、大人しく着替えて待っていたのですが、一向に人の来る気配がありません。
何をされるでもなしにボーっとしておりましたら、いきなり続きのナースステーションの方で「おかね坊さんはどこ?」と探されておりました。

「おかね坊さん、来ているの?」
「どこ行っちゃったのかしら?」
「まだ来てないのかしら?」
・・・等々、看護師さん達、言いたい放題です。

・・・あのう、ワタクシずっと第一分娩室にいるんですが。

「あのー、おかね坊ですが、今ワタクシ第一分娩室にいます」と声を掛けましたら、「あら、ごめんごめん!」だそうです。ええか、やい!! 
看護師さんによくよく聞くと、24日は朝方から8件も分娩があり、分娩台も不足し、看護師も手が回らない状態だそうでした。
「ソファー使うかも!」などと脅され、結構殺伐とした状態でした。

そんなわけで、まだまだ他にも分娩を控えている状態の妊婦さんがいたので、分娩室を追い出されて、陣痛室にぶち込まれたのでした。


陣痛室にて

陣痛室に入り、陣痛促進剤入りの点滴を手首に装着。
手首に針を刺すのって案外痛かったりします。
量も少しからはじめましたので、お腹の張りはあっても、陣痛まではいきません。
お腹にも胎児の心拍を計数したり、陣痛の強さを計る測定器を装着。

夫は計測器から吐き出される陣痛のグラフを見て、「今、お腹痛い?」等と何だか興味深げです。ワタクシの反応と照らし合わせてしげしげとグラフを眺めながら、「ちょっとタイムラグがあるなぁ」などと呑気な様子。男性は気楽でいいなぁ・・・。

促進剤を打つ前に聞いた「陣痛促進剤を使うとお腹がゆるくなります。」という看護師の言葉通り、お手洗いに行きたくなりました。
便秘している時には、下手な便秘薬に頼るよりも陣痛促進剤を使うというのは非常に有効かもしれません。(笑)

点滴をはじめて数時間。陣痛と呼べるほどの痛みのないうちにお昼となりました。
食事が出されましたので、今食べて体力をつけておかないとマズイという思いから、ペラペラのトンカツから、若すぎて堅いメロンまで、美味しくいただきました。

食事も終わり、午後一時を過ぎる頃、お腹が痛くなり出しました。でも、まだまだ本格的な痛みには程遠いようです。
時間が経つに連れ、段々腰が痛くなり出しました。痛い上に、夫が腰をポンポン叩くので、「叩かないでぇ!(泣)」と思わず言ってしまいました。

夫は何か忘れ物をしたので一旦家に戻るとのことで、代わりに母がついてくれておりました。
その間にも陣痛はだんだん強くなってきます。かなり痛くなってきた頃、突然看護師に、「おかね坊さん、今日は看護学生さんが出産を見学しますがよろしいでしょうか」と打診をされました。しかも男子学生です。

「聞いてねーよ!!Σ(゜Д゜;)」


と、叫んだのは心の中だけ。
良いも悪いも、陣痛の痛さをこらえながらも、いきみたくなるのを逃すのに精一杯で、何が何やら。
もう何もかもどうでもよくなっています。
看護師も多分そこを狙ってのタイミングで申し出たのでしょうが、あまり姑息な頼み方は止めた方が良いのでは・・・と後から思うことしきりでございます。

学生さんは、看護師の指示を受け、一生懸命ワタクシの腰をさすってくれています。
実習とはいえ可哀想に、いきなり長時間妊婦の腰をさすらされて、却って気の毒になってしまいました。
でも、確かに腰はさすって貰った方が楽なのです。「ありがとう、ありがとう」と心の中で手を合わせておりました。

そのうち、1人だけかと思ったら、別の妊婦さんに付いていた女学生さんが、看護師に連れられてきて、「この学生さんもよろしくお願いします」といわれてしまいました。
担当の妊婦さんがまだ陣痛がこないので、ワタクシにお鉢が回ってきたらしいです。何と不運なことか・・・。ウォォォ!スナッキー!!(←意味不明)


陣痛室から分娩室へ

陣痛はどんどん強まり、痛みも声を出さずにはいられないほど強くなって参りました。
寄せては返す波のような陣痛に耐えきれず、ベッドのリクライニングのアームを掴んでウーウーうなっていましたが、どんなに痛くなっても子宮口が全開大(10cm)に開くまでは、「産むぞー!」と力を入れていきんではいけないのがお約束。

呼吸法などというものがあるのですが、鼻で息を吸って口で吐くという、効果があるのかないのかよく分からないものを真剣にやってしまう自分が少し悲しかったりします。
そのうちに、「もう勘弁してー!産まれちゃうよー!!」というようなビッグウェーブが到来。
しかし、看護師さんはなかなか来てくれません。「もうダメ!いきむー!!」というところになって、ようやく内診をしてくれ、「よし、全開大。今日産んじゃおう!」との言葉。
痛さでまともに歩けないので、そのままガニ股で歩いて分娩室に向かいました。

分娩室に通され、分娩台に上って再度内診。
痛いから止めて欲しいのですが、そうも言っていられません。
一度外した測定器を再度装着しました。

陣痛は容赦なく押し寄せてきます。

「ハイ、息を鼻から吸ってー、口で吐いてー、もう一度吸ってー、いきんで!」と、女学生さんに言われます。
「ちくしょう、見て指示しているのは楽でも、実際ワタシャそれどころじゃないんだよ!!」と心の中で悪態を付きながらも、いきみます。
でも、いきむときに痛さに耐えかねて目を瞑ると「目を開けて!おへその方を見て!!」と怒られますし、顔に力がはいると、「顔に力を入れちゃダメ!」と叱られます。
多分、目をひん剥いてすごい顔になっていると思うのですが、顔はあくまで涼しげでないといけないらしいです。できるかー!!
しかも、分娩台に付いているレバーを握りしめて引いていたら、別の看護師に「引くんじゃなくて押すんです!」と怒られたので、一生懸命押していたら、「それは押すんじゃなくて引くのよ!!」と、また別の看護師に怒られる始末。どっちだよ!
しかも何で怒られてばっかなの??(ノ_T)

そんなふうに、看護師自身が正しい判断を下せないほど部屋全体が殺気立って参りました。
しかし、そんな中でもギャラリーがあると思うと、痛みで取り乱さざるを得ない状況でも、ある意味妙なところで冷静な自分がどこかに潜んでおりました。
が、測定器があるにも拘わらず陣痛がくるたび、「来ました」と言ってしまうところがミソでございました。(←このへんで、多少冷静さを欠いていることがお分かりいただける事と思います。)

痛みもピークになってきた頃、助産師さんが鋏を持っているのが見え、パチンという音と共に会陰切開がありました。
あんなもので肉を切られたにも拘わらず、痛みは感じませんでした。(多分麻酔をしている筈ですが・・・。)
陣痛が引いた時を見計らって、お茶で口を湿らせたり、汗を拭いて貰ったり、案外忙しいものです。
そのうち、胎児の心拍数が落ちているのか、測定器がズレてワタクシの脈にかかっているのか微妙な状態になり、酸素吸入まで導入されました。
それでも鼻から吸って口から息を吐くという動作は続いています。口で大きく吸って吐く方が酸素を取り込むには効率が良さそうな気がするのは素人考えなのでしょうね。。。。

いきみながら心の中で「この呼吸は本当に役立っているのだろうか?」と考えていたところ、いきなり胎児の頭が途中でひっかかって、そこで陣痛の波が去っていってしまいました。
次のウェーブが来るまで、まだ少し時間がありますが、これが痛い痛い。
情けなくも「イテテテ・・・」と言ってしまいました。

渾身の力を振り絞って何度かいきんでいるうちに、何かが抜け落ちる感じがし、「あ、頭が抜けたのかな?」と思った途端に「おめでとう!産まれたよ!!」との声が・・・。

あれ?あれ?あのー、最後に必要な「ハッハッハッハッ」と呼吸を小刻みにする短促呼吸は??


誕生

子供の産声を聞きながら、分娩台の上で短促呼吸の有無の疑問にかられるワタクシでしたが、顔や全身から何となく力が抜けていくのが解ります。
それと同時に、これからはあのポコポコとお腹を蹴られる感じや、可愛い胎動を感じることもないんだなぁと思うと、寂しさが押し寄せてきました。

周囲からは「おめでとうございます」の嵐でした。
疲れ切った頭で、息も苦しいままなのですが、「ありがとうございます」と返して、いつしか気付くと子供の産声が止んでおりました。

促進剤は打ったままですし、まだ少し陣痛が残っています。後産で、胎盤その他、もう子供を分娩してしまったので、子供の生命維持に必要の無くなったものたちが子宮から排出されます。
羊膜の一部が子宮の中に残っているらしいということで、そのうち出るでしょう、と医師が切開した部分の縫合をはじめました。
会陰切開した分だけでは足りずに、傷がかなり裂けてしまったため、細かく縫い合わせていくので「まだ終わらないのー!?」と言いそうになってしまいました。
出産よりも、傷の縫合のほうが情けないことに痛くて、ウギャー!と顔を歪めて痛がるワタクシでした。

少しして、学生さんも実習時間を終了とのことで、「ありがとうございました」と礼を述べていきつつ、「感動しました」と感想を付け加えてくれました。でも、当のワタクシはそれどころじゃなかったのでした・・・。


ご対面

暫くして、夫、義母、母が通されてきました。

身体を綺麗にして貰った子供が連れてこられて、ワタクシの腕を枕に寝かせられました。
少し熱いくらいの体温を腕に感じながら子供の顔を見ると、もうくりくりとした目を開けておりました。
視力はまだあまり無いはずなのに、ジッとこちらを見ています。しかも指を口に入れてしゃぶっています。
ワタクシはよくわからなかったのですが、ニッコリと笑ったらしく、義母が「産神様が笑わせてくれたわ!」と母と共にニコニコしておりました。
夫も「よくやった」と言ってくれましたが、出産ってやっぱり一大事業なのかなぁと、疲れてぼんやりとした頭でそんなことを思っておりました。

ばたばた動く小さな手足と頭の重み、そして体温。。。あまりに未熟な状態で産まれてくる人間の子。身体の小ささ、弱々しさ、誰かの保護がなければ自力で生きていくことすら出来ない小さな生き物。
この子のすべてが自分の身体のなかで育まれてきたものだと思うと、不思議な気分です。自分とは違った意思を持った生き物が、ちゃんとした人間として、無事にこの世に誕生してきたのだと思うと、自分が産んだのだという出産自体に対する感動や自負よりも、「無事に産まれてきてくれてありがとう」という感謝の気持ちの方が大きかったです。
そして、自分の母親も、こうして自分を産んでくれたんだなぁと思うと、何とも言えない気持ちにかられました。

出産を終えて、2時間ほど分娩台の上で休息するのですが、カーテン一枚を隔てたお隣の分娩室では、別の方の出産が始まっておりました。
後に同室になる経産婦さんですが、陣痛がくるたびに痛がって声を上げているのですが、その声がすごく色っぽく聞こえ、「うーん、そうするとワタクシなんかは、かなり色気のない出産だったのね・・・」と、バカみたいな事を考えてしまっておりました。


その後

2時間ほど分娩台の上で休息し、円座付きの車椅子に乗せられて、病室に運ばれました。
そのまた何時間か後には付き添い付きで歩行練習を兼ねてお手洗いに行くのですが、傷にしみてしみて・・・。
こうして女は母親になっていくんだなぁと、変なところで実感してしまいました。

入院は一週間。6人の大部屋でしたし、出産ラッシュの日でもあったので、同日生まれの子の何人かのお母さんとも仲良くなれました。
食事時間になると、来客のない限りは、外人さんを除いた大体の人がカーテンを全開にしてワイワイやっておりました。
授乳の時間になると、みんなで連れだって授乳室に押し寄せて、おっぱいマッサージ→おむつ替え→計量→母乳の授乳→計量→必要量の不足分を補うため、人工乳の授乳→再度おむつ替え→搾乳・・・といった行程を、午前2時を抜かした一日6回いたします。

これだけで、だいたい一時間はかかってしまいますので、まるで我々は授乳マシーン並の生活を送っておりました。
それまでの間は、ベッドにゴロンとなったりして、思い思いに時間を過ごすのですが、来客の多い人なんかは、寝ていても起こされますし、食事時間や授乳時間とバッティングしたりと、常に休めなくて気の毒でした。
ワタクシなんかは、「病院は子供の面会時間が短いし、人も多くてゆっくり見られないから、実家に見に来てね〜♪」と基本的に人払い状態でしたので、そういう点では随分と睡眠時間もとれたので、他の方に比べれば、ずいぶんと楽だったと思います。

同室の殆どの人が悩まされたのが、便秘でございます。
会陰切開の傷に処方される抗生物質や痛み止めとともに配られる整腸剤如きでは皆追いつかず、ワタクシを含めて大体の人が、看護師に泣きついて下剤を処方してもらっておりました。
もう一つ悩まされたのが、尿漏れでございます。
尿意を感じ、すぐにお手洗いに行くのですが、気付くと出ているのです。自分の意志と全く関係ないのです。くしゃみなんかした日には悲惨でございます。

涙無しでは語れない、何とウツクシイお話なのでしょう。。。(汗) 


退院後

退院してからは、夫の実家にお世話になり、子供に密着した毎日でございます。
ワタクシはむくみが酷いため、安静にするよう指示がでておりましたので、寝ては起き、寝ては起き・・・の毎日でした。

3kgある子供やその付属物が身体から出ていっても、最初の計量で体重が殆ど減っていないというのには恐れ入りました。というか、ショックでございました。

その後、前述の通り、食べては寝て起きて子供の世話・・・という毎日なのですが、床上げを目処に体重を量ってみましたら、何とかなり減っているではありませんか!
妊娠前の体重に近づいて参りました。しかし、まだまだあと数キロは多いままですので、これを何とかしなければいけません。

そんなこんなで、子供との新しい生活もはじまりました。
おっぱい、おむつがえに始終していますが、この子もやがて大きくなっていくことを楽しみに、日々過ごしていこうと思います。


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